■ むぎばたけ ■
− 月夜は麦の歌を聴きに −

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   こけのじゅうたんに
   お日さんのだんろ
   やねは生け垣だよ
   そこが おいらのねぐら

 いいうたじゃないか。ハリネズミはつぶやきました。旅人のうたです。このハリネズミは、とりわけ、家にじっとしていられないたちだったのです。
 ひるまはずっと、生け垣のしたのあたたかい日だまりの枯れ葉のベッドで、のっぽのシダややわらかいコケにかくれてねむっています。それが、夜ともなれば、ぱっちり目をさまし、月夜のぼうけんにくりだすのです。ちいさなけものたちって、たいていそうですけどね。

『むぎばたけ』


英国の童話作家、アリソン(アリスン)・アトリー UTTLEY, Alison, 1884-1976 は、ビアトリクス・ポターより20年ほど後れて生まれた。世代としては、『クマのプーさん』のA.A.ミルンとほぼ重なる。
彼女はポターと同じように、英国の農村地帯で日常的に見られる小動物たちを主人公にして、子ども向けの短い物語をたくさん書いた。
大先輩ポターとアトリーとの比較は、どちらかと言えば、アトリーにとって分が悪いかもしれない。田舎育ち(子ども時代だけのことだが)のアトリーには、ポターの得意とするような、ほどよく抑えのきいたアイロニカルなユーモアのセンスや、ときに辛辣なまでに鋭くなる人間観察の目は、求めるべくもないからだ。
だが、2人の間には、もっと明瞭な違いがある−−画才の有無だ。多才なポターと違い、アトリーははじめから、挿し絵については専門の画家に頼るほかなかったのである。

しかし、アトリー作品には、ポターの作品とはまた違った魅力が、確かにある。登場人物たちの無邪気さや、物語のたくまざる大らかさは、逆にポターのある種冷徹な筆致によっては描き得ないものだ。
そんなアトリー作品の世界の魅力がよくわかる掌篇の1つが『むぎばたけ』である(矢川澄子 訳,片山 健 絵,福音館書店,1989.07.,原著 "The Cornfield" from "The Weather Cock, and Other Stories", 1945)。
むぎばたけ
とある月夜に、1匹のハリネズミが、自作の歌を口ずさみながら、草むらの小道を歩いていく。
途中で出会ったノウサギのジャックじいさんとカワネズミ(カワネズミは齧歯類ではなく、ハリネズミと同じ食虫目に属する動物である)が、ハリネズミの道づれとなる。
目的地の小麦畑にたどり着くと、3匹は風に揺れる麦を眺め、麦の穂の合唱にじっと聞き入る。
やがて3匹は麦畑をあとにし、また一緒に麦畑を見に行くことを約束して、互いに別れを告げる。
ハリネズミとノウサギがそれぞれのねぐらに帰っていった後、カワネズミは小川の土手に腰かけ、水の音に耳を傾けながら、麦のささやきを思い出している。
……わずかこれだけの内容である。

この絵本は、挿し絵も実にいい。
画家は日本人だが、写真などで見るとおりのヨーロッパハリネズミ(ナミハリネズミ)の姿が、あたたかなタッチで生き生きと描かれている。
ハリネズミは楽しげに、ときどき月を見上げたりしながら、軽い足取りで野道を歩いていく。
車道の近くを通る場面で、背景にさりげなく「ハリネズミに注意」の道路標識が描きこんであったりするのもうれしい。
やわらかい画風は、アトリーの、ほとんどあざといまでの自然志向に、ぴったりとマッチしている。

“月夜”は、アトリーのお気に入りのモチーフの一つのようだ。
ティム・ラビット・シリーズのあるエピソードでは、明るく輝くお月さまをとりに行こうと考えた主人公のティムが、広大な麦畑で道に迷い、カヤネズミやモグラと出逢う。
また、“旅人としてのハリネズミ”のイメージは、リトル・グレイ・ラビット・シリーズの、『ハリネズミさんのすてきなコート』"Little Gray Rabbit and the Wandering Hedgehog" というお話にも生かされている。
アトリーは、野生のハリネズミが、一晩に驚くほど広い範囲を移動する夜間徘徊者であることを、よく知っていたのだろう。

この物語は,光村図書版の小学校5年の国語の検定教科書(上)にも採用されていたようだ(学習指導要領改定による教科書改訂で,はずされてしまったが)。ウェブ上には今でも,小学生の描いたハリネズミたちの絵や,この教材を使った授業の指導案などを見ることができるページがある。
1999.08.16. 最終推敲:2002.12.08.
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■ リトル・グレイ・ラビット ■
− 牛乳屋と小学生と浮浪者 −

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「ああ、なんてこと!」と、グレイ・ラビットはつぶやきました。「あなたがぶじでいて、ほんとによかったわ、ハリネズミさん。どうぞ、用心してね。たとえ、あたしたちは、牛乳なしですますにしても。」
「ありがとうよ、かわいい子さん。」といって、ハリネズミは、にっこりしました。「おいぼれても、おれに針が何本か、のこっているかぎり、おまえさんたちの牛乳は、はこんでくるよ。じゃ、さよなら。おまえさんこそ、用心してな。家のなかにいる文句屋たちにも、気をつけるよう、おしえておやりよ。」
そして、ハリネズミは、よたよた、歩いていってしまいました。

『グレイ・ラビットのおはなし』


リトル・グレイ・ラビット物語 Tales of Little Gray Rabbit」は、他項で紹介した『むぎばたけ』の作者、アリソン(アリスン)・アトリーの代表作だ。
主人公のリトル・グレイ・ラビットは、おそろしく気だてがよくて思慮深い、誰からも愛される灰色ウサギの娘だ。その性格は、児童文学の主人公としては、ほとんどアナクロですらある。
彼女はノウサギのヘア、リスのスキレルと共同生活を送っているが、この2人の友人たちは、自惚れ屋でぐうたら、軽率で自分勝手ときて、グレイ・ラビットとはまるで性格が違う。
それでも3人は、お互いに結構うまくやっているようだ。お調子者のヘアも、おすまし屋のスキレルも、美点よりは欠点の方がよく目立ち、結果的に2人して優等生タイプのグレイ・ラビットの引き立て役に甘んじているようにさえ見えるが、それでも気のいい仲間たちであることに違いはないのである。

『スキレルとヘアとグレイ・ラビット The Squirrel, the Hare and the Little Grey Rabbit』は、1929年に刊行された、シリーズの第1話だ。
グレイ・ラビットは、レタスを嫌がるヘアのために畑にニンジンを取りに行き、危うくお百姓につかまりそうになる。これに懲りたラビットは、森のカシコイ・フクロウのところにニンジンの作り方を教わりにいくが、交換条件として、大事な尻尾を取り上げられてしまう。
翌日ラビットは、フクロウに教えられたとおり、人間のよろず屋の店に忍び込み、さまざまな野菜の種を盗んでくる。
グレイ・ラビットが家に帰ってみると、ヘアとスキレルの姿がない。留守の間に、恐ろしいイタチにさらわれてしまったのだ。驚いたラビットは、仲間を救うため、単身、イタチの住みかに向かう。
シリーズのレギュラー・メンバーである牛乳屋のハリネズミ氏は、この第1話からすでに登場し、続く第2話にも顔を出している。

※ アトリー・ファンにとってはいささか残念な話だが、リトル・グレイ・ラビット・シリーズ第1話の刊行に先立つこと3年、1926年に、同じ英国で『クマのプーさん Winniie-the-Pooh』が刊行され、好評を博している(「プーさん」シリーズ第1作『ぼくたちがとてもちいさかったころ』の刊行はさらに早く、1924年)。
リトル・グレイ・ラビットが、フクロウに尻尾を取り上げられて玄関のドアたたきにされてしまうエピソードは、ロバのイーヨーのなくした尻尾が、フクロの家の呼び鈴の紐になっていたことを思い出させないわけにはいかない。
ついでにいえば、賢いグレイ・ラビットがイタチを退治したやり方は、グリムの名高いメルヒェンを髣髴させる。

シリーズ第2話『どのようにして、グレイ・ラビットは、しっぽをとりもどしたか How Little Grey Rabbit Got Back Her Tail』では、前作の末尾で約束されたとおり、グレイ・ラビットがフクロウから尻尾を取り戻すまでの顛末が語られる。
今度はリスのスキレルが、命の恩人となったグレイ・ラビットのために一肌脱ぐ。彼女はよろず屋に忍び込んで大騒動を引き起こすが、この冒険は結局何の役にも立たず、フクロウからしっぽを返してもらうための品物は、結局、温厚で頼もしい地下生活者の隣人によってもたらされることになる。

第3話『ヘアの大冒険 The Great Adventure of Hare』では、臆病なノウサギのヘアが、ヒキガエルのトード氏に会いに行くために、はるばる遠出をする。
途中ヘアは、赤い上着の上品な紳士から酒に誘われるが、用事があることを伝えて通りすぎる。無事にヒキガエルの家にたどり着いたヘアは、グレイ・ラビットが用意した気の利いた贈り物のおかげで歓待を受け、お返しの贈り物をもらう。
帰途、待ちかまえていた件の紳士が、ヘアを夕食に招待する。紳士の正体に気づいたヘアは……
この道行きの途中、ヘアは無邪気な小ウサギたちに話しかけられ、大旅行家のコロンブス・ヘアと名乗って、ひとしきり自慢話をしている。ヘアの話をわくわくしながら聞く若いウサギたちの間には、なぜか所帯持ちのハリネズミが1匹混ざっていて、ヘアにキツネのことをそれとなく警告している。

第4話『ハリネズミのファジー坊やのおはなし The Story of Fuzzypeg the Hedgehog』の主人公は、グレイ・ラビットでも、ヘアでもスキレルでもなく、牛乳屋のハリネズミ家の1人息子、ファジー坊やだ。
坊やの1歳(半分おとな)の誕生日、ハリネズミ氏は配達先の皆から卵をプレゼントされる。すっかり卵好きになってしまったハリネズミは、「タマゴの密猟」を始めるが、卵は思うように見つからない。しかし、マムシを退治してマダラ・メンドリを助けたことたことから、毎日1つずつ、卵をもらえることになる。メンドリへのお返しに、ファジー坊やは干し草の種入りケーキを届けに行くが、帰り道、人間の子どもに出会ってつかまってしまい、植木鉢の下に閉じこめられる。
帰ってこない坊やのことを心配したハリネズミは、グレイ・ラビットに勧められて、カシコイ・フクロウに相談に行く。例によって交換条件を出したフクロウは、植木鉢の下の坊やを見つけてくる。坊やを助けに向かった動物たちは、何とか植木鉢をひっくり返そうとするが、後から到着したモグラのモルディが、落ち着いて植木鉢の下の土を掘り、坊やを無事に助け出す。

1929年から32年まで、1年ごとに刊行されたこれら4つの話は、まとめて『グレイ・ラビットのおはなし』(石井桃子・中川李枝子 訳,岩波書店)に収められている。
この岩波版は2種類の本が出ているが、岩波少年文庫〈1052〉版(1995.06.)の方が入手しやすい。挿し絵にはフェイス・ジェイクスによるペン画が使われており(原著は1980.)、第4話のハリネズミのファジー坊やの絵は、裏表紙にも流用されている。
もう1冊の『絵本 グレイ・ラビットのおはなし』の方は、大型の愛蔵版であり、定番といわれるマーガレット・テンペスト TEMPEST, Margaret 1892-1976 による豊富なカラー挿し絵で飾られている(原著は1993.)。ただし、絵本仕立ての関係から、文章の方は多少省略されているようだ。

「リトル・グレイ・ラビット物語」は好評を博し、ハイネマン社から出された4冊の絵本だけでは終わらなかった。それどころではない。アトリーは長寿に恵まれたが、91年の生涯の終わり近くまで、この物語を書き続けたのだ。これら後続の絵本シリーズは、新たにコリンズ社から刊行されたが、これは同社の社長夫妻がグレイ・ラビットの熱心なファンだったためであるという。
これら新しいシリーズは、合計31巻にもなった(脚本1巻を含む)が、このうちの12巻が、かつて評論社から翻訳紹介されている。現在では、1986年からコリンズ社が出しはじめた、文章を短縮した新装版(テンペスト版の25巻のみ)を底本として、偕成社から8冊が刊行されている。

※ 60年前、シリーズの最初の絵本が刊行されたときに、版元のハイネマン社は、まだ駆け出しの作家だったアトリーよりも、すでに子どもの本の挿し絵画家として名を成していたテンペストの方を優遇した。
アトリーはそのことを快く思わなかったというが、テンペストも結局は、他のどんな仕事よりも、アトリー作品の挿し絵画家として、広くその名を知られることになった。偕成社版では、睦まじく語り合う老境の2人の写真を見ることができる。
2人のコンビは長らく続いたが、1970年以降に出された5巻では、アトリーの他の童話にも挿し絵を描いているキャサリン・ウィグルズワスが、テンペストの仕事を引き継いでいるとのことである。

これら後続の作品にも、さまざまな形でお馴染みのメンバーたちが登場している。
『ハリネズミぼうやは学校がすき Fuzzypeg Goes to School』(箕浦万里子 訳,偕成社,1988.05.)では、ハリネズミのファジーぼうや−−いや、こちらの訳ではファジペッグが、いとこの子どもハリネズミたちと一緒にはじめて学校に行き、ヘアやグレイ・ラビットを交えて、楽しい1日を過ごす。主人公のグレイ・ラビットたちが実は読者である子どもたちよりずっと年かさであることを考えると、このシリーズでのファジペッグの存在は貴重である。
『めんどり母さんがあぶない! The Speckledy Hen』(眞方陽子 訳,偕成社,1988.08.)では、学校で文字の読み方を覚えたファジペッグが、めんどりのスペックルディとヒヨコたちを救うために、イソップ寓話をキツネに読み聞かせる(どうやらグレイ・ラビットたちは文字が読めないらしい)。
『ハリネズミさんのすてきなコート Little Gray Rabbit and the Wandering Hedgehog』(眞方陽子 訳,偕成社,1988.11.)では、ブラッシという放浪ハリネズミが登場する。グレイ・ラビット、ヘア、スキレルの3匹は、生け垣でたき火をしているみすぼらしい恰好のハリネズミに、それぞれ別々に、おっかなびっくり会いに行く。旅の話に耳を傾けて食べ物や煙草をふるまわれるうち、それぞれにすっかり彼の人柄が気に入ってしまった3人は、寒い冬を過ごすためのコートを1着、何とか彼に贈ろうと算段する。

辺鄙な農村の、人里離れた一軒家の農家を出て、都会の大学で物理学を学び、女子中学校で教鞭を執っていたこともあるアトリーは、自殺という最悪の形で夫を失っている。シリーズの最初の4話は、もともと、それまでお話を語り聞かせていた息子が彼女のもとを離れて寄宿学校に入ったときに、彼女が書き送ったものだといわれる。
ビアトリクス・ポターのピーターラビットをどこかで意識していたのか、はじめに刊行されたハイネマン社版の4冊には、それぞれ、何らかの形で人間たちが登場している。その方が子どもたちは喜ぶだろうと、アトリーは考えていたのかもしれない。しかし後続作品では、人間は姿を見せないことが多い。
そもそも、イタチにさらわれた仲間たちを単身救いにいくグレイ・ラビットといい、ドアベルを引きちぎるために白昼のよろず屋に飛び込むスキレルといい、危うくキツネの晩餐に参加させられそうになるヘアといい、人間につかまって植木鉢に閉じこめられるファジー坊やといい、グレイ・ラビットの仲間たちは、皆、ドキドキするような冒険を宿命づけられていたはずではなかったか。このような特性は、自分の息子に物語を語り聞かせていたアトリーの“つかみ”の工夫だったのだろうが、そのスピーディーでスリリングな展開が、後続の作品からは失われている(『めんどり母さん』だけは、シリーズ初期の作品に近い構成になっているが)。放浪者のためのコートのあつらえにせよ、はじめて小学校に行った子どもの1日にせよ、そこにあるのは、ほんわかした日常に属するエピソードである。この変質は、やはり固定読者をつかんだ作者の余裕に伴うものと見るべきだろうか。

ピーターラビット・シリーズの人気のかげに隠れて、日本ではあまり知られていないリトル・グレイ・ラビット・シリーズだが、英国では広く愛され、主人公が活躍するカードゲームやカセットブック、ぬいぐるみやオルゴールなど、さまざまなキャラクター・グッズも出されているという。
2000.02.07. 最終推敲:2002.09.29.
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■ しずかな おはなし ■
− ロシアの森のハリネズミ一家 −

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ちいさな こえで よむ おはなし。
そっと そっと そっと……
はいいろの はりねずみたちの
しずかな しずかな おはなし。

『しずかな おはなし』


"HEDGEHOG" の r2_d2 さんからいただいた情報です(_ _)。
サムイル・マルシャーク文、ウラジミル・レーベデフ絵の『しずかな おはなし』(内田莉莎子訳,福音館書店〈世界傑作絵本シリーズ・ソビエトの絵本〉,1963.12.)は、1998年で72版を重ねている長寿絵本だ。

しずかなおはなし
夜の森に散歩に出かけたとうさん、かあさん、ぼうやのハリネズミ一家は、つがいのオオカミにみつかってしまう。両親のハリネズミは丸くなり、ぼうやにも体を丸めて針を逆立てることを教える。
ハリネズミたちに手が出せないオオカミたちだが、簡単にあきらめようとはしない。雌のオオカミは、前脚でぼうやを転がしはじめる。とうさんとかあさんは、オオカミの脚に、針を突き立てる。悲鳴を上げて飛びのくオオカミ。
結局、折よく猟師が森にやってきたおかげで、オオカミたちは逃げていく。ハリネズミ一家は、無事に家に帰り着く。

ハリネズミやオオカミが描かれている絵柄は写実的だが、灰色と褐色を基調とする、淡くぼかされた柔らかい絵は味わい深い。
うるさいことを言えば、一度丸くなったハリネズミが、自分から敵に針を刺すということは、実際にはあり得ないだろう(そのハリネズミがあの“青い猫”なら話は別だが)。ハリネズミの父親は子育てには関与しないから、両親プラス子ども1匹という現代風の家族構成も、一種の擬人化ということになる。さらに、筋肉の未発達な若いハリネズミが、しばしば体を丸め込みきれないせいで天敵の餌食となることを考えると、とうさんとかあさんの判断は、必ずしも賢明なものであったとはいえないかもしれない。
しかしもちろん、この絵本は、実際のハリネズミの生態を子どもたちに紹介するためのものではない。この絵本から読み取れるメッセージはいくつかあるが、最も重要なものを一つ挙げるならば、「とうさんとかあさんさえそばにいれば、何があっても大丈夫」ということになるだろう。地味な物語だが、絵を眺めながらのお母さんの読みきかせには手ごろなのではないだろうか。もちろん、声をひそめて、しずかに、しずかに……
この絵本は、全国学校図書館協議会や日本図書館協会の選定図書にもなっている。

なお、作者のサムイル・マルシャークは詩人であり、児童演劇の定番演目である『森は生きている』の、スラヴ民話からの再話者として知られている。
2000.01.08. 最終推敲:2002.01.29.
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■ フォックスウッドものがたり ■
− 年下の友人としてのハリネズミ −

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シンシア&ブライアン・パターソン夫妻 Cynthia & Brian Paterson による絵本シリーズ「フォックスウッドものがたり Foxwood Tales」の主人公は、フォックスウッドの村に住む仲良し3人組、ハリネズミのウィリーとウサギのルー、ハツカネズミのハーベイだ。
3人のうちで一番のちびすけはハリネズミのウィリー。無邪気な性格で、いつも思ったとおりに行動する。反対に、ハツカネズミのハーベイは、思慮深いしっかり者で、リーダーシップをとることが多い。ルーはウサギなので体は大きいが、3人の中では一番おとなしい。3人のそれぞれに親近感を抱く子どもたちがいるのだろうが、一番感情移入がしやすいのは、やはり、くいしんぼうでこわがり屋ではしゃぎ屋で、ちょっとわがままだけどなぜか憎めない仲間、ウィリーだろう。シリーズの事実上の主人公、といってしまってもよいかもしれない。

「フォックスウッドものがたり」の物語は妻のシンシアが書き、絵は夫のブライアンが描いているようだ。英語版の献辞には、夫妻の3人の息子たちの名前が掲げられている。
金の星社から三木 卓 訳で、現在までに6冊が刊行されているが、英語版には、1998年刊の "The Secret Valley" など、未訳のものが残されている。

フォックスウッドとその周辺には、ハリネズミ、ウサギ、ハツカネズミ、アナグマのほかに、カエルやモグラ、カワウソといった小動物たちが住んでいる。
悪玉はクマネズミやイタチである。英国の多くの動物物語と違って、キツネは決して悪役ではない。村の名前やシリーズのトレードマークにまでなっているこの動物は、交際好きなお金持ちの旦那なのだ。
1999.12.20. 最終推敲:2000.01.19.
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■ ハンナのすてきな?ホテル ■
− 人生とは数珠つなぎになったトラブルの別名 −

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マーク・バージェス Murk Burgess の絵本シリーズ「ハンナのすてきなホテル」は、アトリーの『むぎばたけ』とは全く違った意味で、“英国らしさ”を感じさせてくれる。
舞台は海辺の小さな島にあるホテル。オーナーであるはりねずみのハンナは、仕事熱心なしっかり者らしい(どうでもいいことだが、この Hannah という名前は回文である)。年齢不詳だが、おそらく独身。いつも同じ黄色のワンピースに、同じ色のパンプスをはいている。先代のオーナーであるハンナのおばさんは、3年前、ホテル経営に嫌気がさして、気球で旅に出てしまった。
ハンナのほかに、ホテルには、メイドのネリー(ねずみ)、コックのリチャード(りす)、菜園と雑用担当のウディーおじさん(うさぎ)の3人がいるが、従業員たちの服装も、シリーズを通してまったく変わらない。作者が男性であることと、何か関係があるだろうか。
主人公サイドであるホテルの4人組には、あまり目立った性格づけはされていない。キャラクターが強烈なのは客たちの方であり、おかしな客に振り回されて従業員たちがドタバタするのが毎回のパターンなのだ。
客たちの巻き起こしたトラブルは、いつも一応は解決に向かうのだが、すべての問題がきれいにおさまってめでたしめでたし、となるわけではないところがポイント。混乱は減速するが、解消はしない−−まるで現実そのもののように。ただエピソードだけが目分量で断ち切られる。一方、毎回の物語に必ず登場するのは「ジャビルねずみ」たちだ。がさつで傍若無人な彼らは、ハンナがその名前を聞いただけで顔色を変えるほど苦手とする相手なのだが、どういうわけか、いつも必ずストーリーにからんできてしまうのである。

グースー 100かいめ
第1巻『ふたごのがちょうグーとスー HANNAH'S HOTEL: Besides the Sea』(1995.04.) の客、グーとスーは、典型的な困ったちゃんコンビ。はた迷惑な騒ぎ屋で、禁じられていることなら何でもやりたがり、やっとチェックアウトしたと思ったら、海を突っ切ろうとして車を駄目にしてしまう。
第2巻『100かいめのたんじょうび HANNAH'S HOTEL: Many Happy Returns』(1995.04.) では、ハンナのホテルが100歳になるかめのトビー・トータス翁の誕生会の会場となり、世界中から親戚のかめたちがお祝いに集まってくる。かめたちはレタスしか食べようとしないので、ウディーおじさんの自慢のレタス畑が丸はだかになってしまう。おまけに、トビー翁が100歳になるというのは間違いらしいということが判明して……
第3巻『ま夜中にお客さんがやってきた HANNAH'S HOTEL: The Late Arrivals』(1995.08.) の客は、音楽家のアライグマ3人組。珍しくまともな客だが、むやみに楽しげ、あくまでポジティヴ、他人の困り顔には気づきさえしないこの客たちは、おそらく(英国人の目から見た)アメリカ人なのだろう。今回トラブルを起こすのは、従業員のウディーおじさんで、楽器に気をとられて、アライグマたちの泊まっている部屋に入ったまま、たてつけの悪いドアを閉めてしまい、楽器と一緒に閉じこめられる。
第4巻『たいへん! ホテルは水びたし HANNAH'S HOTEL: Rainy Weather』(1995.08.) では、降り続く雨のせいで、ホテルにはさっぱり客が来ない。やっと訪れた客の1人、かえるのフレディー・フロッグが、今回のトラブル・メーカーとなる。水泳旅行中にホテルに立ち寄ったフレディーは、悪気はないのだがドジな客で、風呂に湯を張っていたのを忘れて、部屋を水浸しにしてしまったり、本を取ろうとしてラジエーターをこわし、ラウンジまでびしょぬれにしてしまったりする。
ま夜中 水びたし

ストーリーからもわかるように、ペシミズムと表裏一体となったユーモアは、ジャビルねずみの存在にとどまらず、さりげなく、だが執拗に、作品の随所で繰り返される。笑いに対して苦さのウエイトが大きいことも、やはり男性作家による作品ならではだろうか。

※「ジャビルねずみ Gerbil」とは何となくタチの悪そうな音感の名前だが、和名ではアレチネズミという。齧歯目(ネズミ亜目)ネズミ科アレチネズミ亜科に属する動物たちで、乾燥した地域で群れをなして暮らしている。
アレチネズミ類は近年の小動物ブームでペットショップにもよく出回るようになっているが(英語名でそのまま「ジャービル」と呼ばれることも多い)、最もポピュラーなのは、佐々木倫子『動物のお医者さん』でお馴染みの、あの能天気な小動物、スナネズミだろう。

邦訳は竹下千花子訳で、「フォックスウッドものがたり」と同じ金の星社から、上記の4巻が出ている。
1999.11.30. 最終推敲:2002.01.19.
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■ 帰ってきたケースとケーチェ ■
− 犬も食わないお2人さん −

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ケースとケーチェ ケースとケーチェ
ケースとケーチェは,ハリネズミの夫婦。お互いにちょっとした気に入らないクセがあったり,ときにはけんかになることもあるけれど,お互いに相手のことが大好きなので,すぐに仲直りしてしまう。
でも,ベッドの取り合いから始まった今度の仲違いは,いつものけんかとはちょっと様子が違うようだ。2人がついに別居すると言い出したのだから。すべての持ち物が公平に2つに分けられたが,なかには相当ムリヤリに分けられたものもあったようだ。
さて,はじめはそれぞれに自由な一人暮らしを満喫していた2人だが,ほら,やっぱり,だんだん落ち着かなくなってきた。でも,仲直りにはきっかけが必要だよね。フライドポテトの袋を抱えたケースと,アップルソースの瓶を抱えたケーチェが,ばったり出会ったとき……

ヤンティーン・バウスマンの『ケースとケーチェ』(横山和子 訳,岩崎書店〈フレンド・ブック7〉,2001.02.;原著 KEES EN KEETJE, 1975)は,同じ出版社から以前出ていた『はりねずみのケースとケーチェ』(〈あたらしい世界の童話15〉,1989.03.)の新装版だ。同社の新シリーズ「フレンド・ブック」の1冊として復活したらしい。
ハリネズミの家族を描いた絵本や児童書は少なくないが,2人だけののカップルとなると,なかなか珍しい。野生のハリネズミは,つがいで暮らすことはないからだ。その点では,この絵本は作者の頭の中でふくらまされたイメージだけで描かれているわけだが,ハリネズミという動物の,ちょっとお間抜けでお人好しそうなイメージは,十分に生かされている。
作者のバウスマン BUISMAN, Jantien 1942- は,アムステルダム在住の童話作家。『ケースとケーチェ』は,ビーバー,ネズミ,クマなど,動物を中心としたお話絵本のシリーズの1冊であり,1976年に,オランダの優れた子どもの本に贈られる「銀の石筆賞」を受賞しているという。

オランダといえば,ウサギのミッフィーの生みの親,ディック・ブルーナばかりが有名だが(keetje の名は,ミッフィーの本名 nijntje と語尾を共有する),『だれも 死なない』などを見ると,“大人向けの「子どもの本」”の存在が広く認知されている国なのかもしれない。
ブルーナ絵本とはまったく趣を異にする素朴な線画(唯一,ケーチェのスカーフだけが赤く彩色されている)が,なかなかいい味を出している。

ケーチェのあかちゃん ケーチェのあかちゃん
そんな2人に,赤ちゃんができたらしい。
『ケースのあかちゃん』(横山和子 訳,岩崎書店,2001.10.)は,『ケースとケーチェ』の続編。
ケースは大喜びだが,お母さんになるケーチェの方は少し不安そう。でも,おなかをトントンと叩いた手に応えるように動く赤ちゃんたちを感じた途端,マタニティー・ブルーはどこかへ吹き飛んでしまう。
前作では「2人だけの世界」に生きていたケースとケーチェだが,今回は,主人公たちと同様,ちょっと(かなり?)間抜けだけれど気のいい動物たちが,心から赤ちゃんの誕生を祝ってくれる。ほのぼのとした愛の世界が広がったわけだ。

ハリネズミ好きの皆さんの間でも好評なこのシリーズだが,私は実をいうとあまり愛着を感じない。
おそらく,ケースやケーチェに感情移入できるような個人的体験をもたないせいだろう。
2002.05.18. 最終推敲:2002.07.12.
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■ ミッフィーの本名 ■
− 絵本『ハリネズミのエージェ』 −

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90年代半ばごろからのキャラクターものブームの中で,ウサギのミッフィーをはじめとするディック・ブルーナ (BRUNA, Dick, 1927-) の手になるキャラクターたちが人気を集めてきた。
ある程度以上の年輩の方はご記憶のはずだが,この“耳の長い登場人物”の名前は,20年前までは「うさこちゃん」だった。これが彼女の本名ではなく,極東向けの源氏名であることは一目瞭然だが,「ミッフィー Miffy 」もまた彼女の芸名の一つに過ぎないことは、まだあまり知られていないようだ。オランダ語で書かれた原著では、彼女は「ナインチェ nijntje 」の名で呼ばれているのである。

※ 「うさこちゃん」の命名者は,石井桃子さん。『くまのプーさん』や『ピーター・ラビット』の翻訳も手がけた,明治生まれの伝説的児童書翻訳者だ。
こちらのページでは,「うさこちゃん」命名についての石井さんの回想を見ることができる。

ある作品が海外に輸出されるときに、外国人には−−多くの場合、特にアメリカ人に、ということだが−−馴染みにくいだろうと判断されたキャラクターの名前が改変されるのは、珍しいことではない。ヨーロッパからの移民たちの名前の場合と同じく、我々はしばしば、それが改変された名前であること自体、気づかずにいる。
だが、トゥーヴェ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズに登場するムーミントロールの親友の名前は「スナフキン」ではないし、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』に登場する白いドラゴンの名前も、断じて「ファルコン」ではなかったのだ。
講談社の『ディック・ブルーナのすべて』(1999.02.)によれば、ブルーナには邦語未訳のハリネズミ絵本がある。オランダ語のタイトルは“eegje egel”(1995年刊)。egel は「ハリネズミ」だから、このキャラクターの本来の名前は eegje(エージェ)だろう。日本語に移せば,『はりねずみのはりえ』といったところか。
『ディック・ブルーナのすべて』では,この本が『はりねずみのヘッティー』という邦語タイトルで紹介されているが、「ヘッティー Hetty」は英語の hedgehog(ハリネズミ)と頭韻をふむ。おそらく、ちょうど「ミッフィー Miffy」と同様の、英語版などですでに採用されている彼女の“芸名”なのだろう。これまた『はりねずみのはりえ』式のネーミングというわけである。

※ 奇妙なことに、『ディック・ブルーナのすべて』において、nijntje というオランダ語の原名については、ある1ページで、文脈上やむを得ずふれられているに過ぎない。オランダ紀行の章中で、熱烈なブルーナ・ファンである実在の nijntje 一家の人々が紹介されているのだが(p.96)、さすがに彼らの名前まで「ミッフィー家」と改変するわけにはいかなかったらしい。
一方、同書には、日本で制作されたオリジナル本であるにも関わらず、全ての小見出しに(オランダ語訳ではなく)英語訳が付せられている。エージェントのチェック用なのか、あるいは、英語への訳出の企画が出ることを、周到に見越したものだろうか。

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 『はりねずみのエージェ(=ヘッティー)』の内容は、「町へ行ったヘッティーが交通事故にあい、少年に救助されるお話」(p.111)とのこと。“Howdy!!”絵本コーナー(p.7)で,ひろみさんによる私訳を見ることができる。
 イギリスのセント・ティギウィンクルズの活動が連想されるが、『ハリネズミクラブ』によれば、ドイツなどでもハリネズミの保護活動は盛んで−−車にひかれて負傷したハリネズミの保護・治療活動が中心であろうと思うが−−、子ども向けの雑誌を通した啓発なども行われているという(p.36-7)。

『ディック・ブルーナのすべて』には、p.111 と同じ“eegje egel”の表紙写真が p.4 に、また、クルクル回転する(車にはねられて?)エージェの絵が p.38 に、それぞれ掲載されている。また,後者は,同社発行のムック「ミッフィー だいすき!」vol.5 (2001.10.) にも流用されている(p.59)。

ところで、ブルーナは教育的な作品もたくさん描いている。近親者の死を扱った『ミッフィーのおばあちゃん』(1996) は話題を呼んだし,“肌の色がちがう新しいお友だち”が登場する『ミッフィーとメラニー』(1999)なる作品もある(ネーミングのストレートさに脱帽)。病気の子どもたちのためのドナルド・マクドナルド・ハウスの支援など,社会福祉への熱心な取り組みでも知られるブルーナには,環境教育をテーマとする作品もある。
1998年にオランダで出されたブルーナの作品『ケムエルとノアのはこぶね ruben en da ark van noach』(邦語版は 松岡享子 訳,福音館書店,1999.11.)も、メッセージ性を感じさせる作品だ。素材は旧約聖書に見える40日の大洪水とノアの方舟のエピソードなのだが、主人公はノア翁ではなく、ルーベンと名づけられた小さな芋虫である。

※ 白泉社の月刊「MOE」誌1999.2月号の特集記事によれば、「ルーベン」はオランダではよくある男の子の名前とのこと。日本語版では「ケムエル」に改められているが、この改名には、あまり感心できない。「サムエル」と引っかけて聖書物語風のイメージを狙ったものだろうが、邦訳で「けむし」とされているルーベンの姿は、明らかに「芋虫」なのだ。
ちなみに、天使の名などによく見られる -el は、「マルコによる福音書」15:34でのイエスの最期の言葉 "Eli, eli, lama sabachthani?" の eli と同じ、ヘブライ語で「神」を表す言葉だ。
Raphael は「神の癒し(または、神は癒された)」、Babel は「神の門」、Elijah は「ヤーヴェこそ神」、そして Samuel は(不確かだが)「神の名」が原義であると考えられる。
「ケムエル」という名前は camel(ラクダ)という語の訛ったもののようにも見えなくはないが、camel の語源には神は関与していないようだ。

動物愛護、環境保護、世界平和といった今日的なテーマが控え目に織り込まれたこの絵本でも、方舟に乗り込む動物たちの中に、つがいのハリネズミたちの姿が見られる。

※ 方舟に乗り込む動物は、うし、ぶた、ひつじ、はりねずみ、がちょう、へび、ろば、ひとこぶらくだ、ふたこぶらくだ、くま、さい、きりん、ぞうの順で描かれている。
一方、降りるところが描かれる順序は、ひつじ、ぶた、へび、うし、がちょう、ろば、ひとこぶらくだ、ふたこぶらくだ、きりん、さい、くま、ぞう、はりねずみ、となっている。
つまり、降りるときだけ(主人公の芋虫のカップルを除いて)最後尾なのだ。

※ そもそも、日本でのブルーナ絵本の刊行は、1959(昭和34)年にさかのぼる。この年に、『りんごちゃん』が講談社から、『きいろいことり』『こねこのねる』が福音館書店から、それぞれ出版された。
以来、両社とも数多くのブルーナ絵本を刊行しているが、うさこちゃん(=ミッフィー)シリーズを早くから出していたのは福音館の方である。1963年に『ちいさなうさこちゃん』など4冊(石井桃子訳)を出したのを皮切りに、「うさこちゃん」名で出ているものは、すべて福音館である。
1979年、講談社から最初の「ミッフィー」本となった『ミッフィーのゆめ』(舟崎靖子 訳<『野ウサギのラララ』の作者でもある)が出ているが、このときは後が続かず、その後も福音館から、4冊のうさこちゃん本が出された(松岡享子 訳)。しかし、1988年に出た『うさこちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん』を最後に、ブルーナ絵本の新刊は、原則として、福音館からではなく、すべて講談社から刊行されるようになっていた。ミッフィーシリーズも、1991年の『ミッフィーどうしたの?』以来、数冊が同社から出ている(いずれも 角野栄子 訳<『魔女の宅急便』の作者として有名な方ですね)。
昔の絵柄の、とんがり耳・横長饅頭型の顔とともに、「うさこちゃん」の名前を愛惜するのは、私だけだろうか。

なお、99年11月には、福音館から『パズル絵本 うさこちゃんのたんじょうび』が刊行されている。中の絵はどっちつかずだが、表紙の「うさこちゃん」は、昔のままのとんがり耳・饅頭型であった。
福音館からの松岡訳『ケムエル』発刊は、「うさこちゃん」の福音館復帰を予告するものだろうか?

# ところで、ピータ・ラビットに対するティギーおばさんといい、ミッフィーに対するエージェといい、ラララに対するハハハといい、ハリネズミには、メインのウサギ・キャラに対する付け合わせという位置に立たされることが、ずいぶん多くはないだろうか。
グリム・メルヒェンでは、ハリネズミは確か、ウサギに勝利したはずなのだけれど。
1999.07.08. 最終推敲:2004.05.02.
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■ きりのなかの はりねずみ ■
− ロシアの川辺の霧の中 −

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きりのなか
Copyright(c)
評論社, 2000
 
「映像」の項でも紹介したが,ロシア・アニメーションの巨匠ユーリ・ノルシュテイン NORSHTEYN, Yury (NORSHTEIN, Yuri) の作品「霧につつまれたはりねずみ」は,98年,2000年,2001年の夏と2002年の秋に,東京のアニメーション専門館であるラピュタ阿佐ヶ谷で,ノルシュテインの他の作品とともに上映され,好評を博した(99年については未確認)。15年ほど前,ノルシュテイン作品集がLDで出ていたころは,知る人ぞ知るという感じの作家だったが,最近の東欧やロシアの児童アニメーション・アートアニメーション人気の影響もあって,ノルシュテインの名を知る人は確実に増えているようだ。
この人気を受けてだろう,2000年10月には,映像作品を元に,日本でのオリジナル絵本『きりのなかの はりねずみ』が刊行されている(ユーリー・ノルシュテイン,セルゲイ・コズロフ 作,フランチェスカ・ヤルブーソヴァ 絵,児島宏子 訳,福音館書店)。
作画のヤルブーソワ Francheska Yarbusova は,「霧につつまれたはりねずみ」を含むノルシュテイン作品の美術監督であり,ノルシュテインの私生活におけるパートナーでもある。

★ Too Trivial! ★
本書扉見返しには,Yozhiku v tumane という原題のほかに,A HEDGEHOG LOST IN A FOG という英題も掲げられている。
韻を踏んでいるのは楽しいが,A FOG という英語はいかがなものか。同年のラピュタ・アニメーションフェスティバルのパンフレット「ユーリ・ノルシュテインの仕事」では,映画の英題は "Little Hedgehog in the Fog" となっている。

ネット上の書評などを見ると,本書の刊行はおおむね好感をもって迎えられたようだ。大判の絵本だが,それほど大きくない書店の絵本売り場でも,しばしば目にする。だが,原作(映像作品)を知る者の目で見たとき,この絵本でその魅力がどれほど伝わるかと考えると,若干の疑問は残る。
確かに,幽玄ともいうべき独特の雰囲気はよく再現されている。しかし,一旦映画の記憶から切り離して一冊の絵本として見たとき,1枚1枚の画の情感を超えるような全体としての訴求力が,この絵本からは感じられないように思うのだ。
ないものねだりといわれればそれまでなのだが,東菜奈さんによる,全体としては好意的な書評中の以下の指摘には,うなずけるものがある。

「アニメーションが下敷きになっているため、話の展開が感覚的で唐突であり、ストーリーそのものよりも視覚的な面白さに重点が置かれている感じは否めない。」(産經新聞サイト,2000.12.05.)

きりの部分
Copyright(c)
評論社, 2000
 
絵本を独立した作品として構成しようという意識を,ここに見出すことはできない。アニメーションの場面の流れを,ただそのまま紙芝居にして連ねただけ,という印象を受ける。敢えて言えば,原作(者)の人気を当て込んだ安直な作り,とも見える。
原作の,小グマの呼び声を含む“音”使いの見事さを再現することは望めないとしても,絶妙な緩急の“間”を,何らかの形で表現しようとする配慮はなされたのだろうか。後をついてくるおかしなミミズク,霧の海の向こうの白馬の気配,突然現れては飛び去る白い蛾の群れ,小枝の先の蛍の光に浮かび上がる巨大な樫の木,白い闇の中でのハリネズミのパニックと,それに続く犬の登場……原作ではそれぞれの場面が非常に印象的であった分,絵本とは別物の感が深い。
もちろん,映像を文字に移すときの独特の困難は,想像に難くない。しかし,たとえば,ハリネズミがパニックを起こすシーンの,あまりに説明的な描写からは,ほとんど投げやりな印象さえ受けるのだ。

「あちこち さまよっているうちに、はりねずみは なきたくなりました。 とつぜん、目のまえが ぐるぐるまわって、まっくらになりました。 くらやみから、おそろしい ばけものが、つぎつぎに おそってきます。 「わぁーっ!」 はりねずみは、くさのうえに たおれてしまいました。」

そこまでテクストを軽視するなら,いっそのこと画集の体裁にして,文字は最低限の場面説明のみにとどめた方がよかったのではないか。
この絵本を一度でも手にした人にこそ,映像作品の方もご覧になることをぜひともお勧めしたい。

★ Too Trivial! ★
映像作品「霧につつまれたはりねずみ」の魅力の一端は,画面の過半を白く埋める茫漠たる霧と,その中での光と影の表現そのものの中にある。
その点,2000年の映画祭パンフレッット「ユーリ・ノルシュテインの仕事」中のフォトストーリーの印刷画像は,実に見事である。

本書の刊行について,ノルシュテイン自身は,以下のように語っている(出版社の「作者のメッセージ」のページ中)。

「この絵本が初めて出版されたのが日本であったことは、偶然ではないと思えてなりません。実は、この絵本のもとになったアニメーション作品《霧のなかのハリネズミ》には、日本にたいする語りつくせないわたしの愛がひそんでいるからです。」

★ Too Trivial! ★
現在ノルシュテインは,ライフワークともいうべきゴーゴリの『外套』のアニメーションを制作中である。日本での映画祭の開催や絵本の刊行には,経済的な側面で『外套』製作に資するねらいも含まれているのかもしれない。
2000年以降のラピュタ・アニメーションフェスティバルで公開された最新作「おやすみなさいこどもたち」は,“「外套」製作を継続するために”テレビ局の依頼に応じて手がけられた,と解説されている。フェスティバルでは,「外套」製作資金の調達が目的であることを明示して,ノルシュテインやヤルブーソワによるデッサンの展示即売会も開かれており,雑誌上などでも,代表作「話の話」のリトグラフが発売されている。

なお,本書の作者としては,もう1人,セルゲイ・コズロフ KOZLOV, Sergey という作家が名を連ねている。
もともと「霧につつまれたハリネズミ」は,他項でふれるコズロフの『ハリネズミくんと森のともだち』という童話シリーズから取られた話を原作としているからだ。
コズロフを原作者とするハリネズミと小グマの物語は,ほかに『ふかい森のふたりはなかよし』という絵本が翻訳されている。
この3冊については,ひろみさんによる,「HOWDY!!」「ハリネズミ本」のページも参照されたい。

【関連項目】
ハリネズミくんと森のともだち(童話集)
ふかい森のふたりはなかよし(童話絵本)
霧につつまれたハリネズミ(アニメーション)
2001.09.22. 最終推敲:2002.12.07.
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■ そらのさんぽ ■
− ピクシーえほん −

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フェリシモ出版の正方形の小さな絵本「ピクシーえほん」シリーズの第1集(2000.11.)。6冊が1つの箱に入っている。デンマークからの翻訳物らしい。
2冊目の『そらのさんぽ』(G.J.ヘアツ 作,I.クランテ 絵,ふくい のぶこ 訳)は,ハリネズミの少年ペーターが主人公。お気に入りの黄色いかごに赤い風船を結びつけ,空中散歩を楽しむ。
2001.11.,東京青山は表参道の「クレヨンハウス」で発見。『そらのさんぽ』の表紙絵が第1集のボックスの表紙に流用されていなければ,気づかなかっただろう。
その後,2002年8月,紀伊國屋書店 TIMES SQUARE 店の児童書売り場(ミニ本コーナー)でも,「ピクシーえほん」シリーズを見かけた。
2001.11.24. 最終推敲:2002.08.31.
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■ たとえば僕が死んだら ■
− ヴァーレイ絵本のハリネズミたち −

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英国のイラストレーター、スーザン・ヴァーレイ(バーレイ)Susan Varley は、「かけがえのない友人との死別」という重いテーマを、しみじみと静かに語りかけるような落ち着いた作品として形にしたことで、国際的に知られる絵本作家となった。
彼女は、はじめて描いた子ども向けの作品である『わすれられない おくりもの』(小川仁央 訳,評論社〈児童図書館・絵本の部屋〉,1986.10.;原著 1984.)で、マザーグース賞(英国)、子どもの本大賞(フランス)などを獲得している。

※『おくりもの』は、日本でも、第33回課題図書(小学校低学年の部)に選ばれており、「子ども時代の読書の思い出」の講演で話題を呼んだ美智子皇后も、テレビ番組で愛読書としてこの本にふれたことがあるという。

しかし、その後邦訳された後続作品を見る限りでは、彼女はこの一作だけで、絵本のストーリーを作る仕事は他人に任せることにしてしまったようだ。『アナグマのもちよりパーティ』(小川仁央 訳,評論社〈児童図書館・絵本の部屋〉,1995.03.;原著 1994.)、『アナグマさんはごきげんななめ』(小川仁央 訳,評論社〈児童図書館・絵本の部屋〉,1998.06.;原著 1997.)と続く“アナグマ・シリーズ”では、南ア出身の英国の絵本原作者、ハイアウィン・オラム Hyawyn Oram が原作を担当している。
第一作の『おくりもの』は、老衰で死んでしまったアナグマと、賢明で思いやり深かった隣人として彼のことを懐かしく思い出すかつての友人たちの物語だったが、オラム版ではこの設定を生かして、在りし日のアナグマと、彼の親友であるモグラとの友情が描かれている。
『もちよりパーティ』では、パーティに何も持ってこなかったせいで孤立してしまったモグラを、ホスト役のアナグマが上手にフォローしたおかげで、モグラは一躍、人気者になる。これに対して、『ごきげんななめ』では、ふさぎの虫にとりつかれてしまったアナグマが、モグラの主催による「表彰式」で絶賛されて皆の喝采を浴び、元の明るさを取り戻す。
つまり、『もちよりパーティ』と『ごきげんななめ』は、明らかに一対を成す作品であり、“特別な友人、すばらしい隣人”としてのアナグマのキャラクターこそ『おくりもの』から忠実に踏襲されているが、これらオラム版の両作品では、互いに互いを支え合うアナグマとモグラのイーヴンな友人関係が、新たに浮かび上がる構成となっているのだ。
舞台や映画、テレビ、広告などの仕事を幅広く経験している原作者オラムによるストーリー・テリングの中心軸となっているのは「かけがえのない友人同士としてのあたたかい関係を享受する喜び」だが、このテーマ自体が、世界的なヒット作となったヴァーレイのオリジナル作品『おくりもの』を多分に意識したものと思われるから、読者の期待にすり寄ったあざとさの印象は拭いきれない。

第1作『おくりもの』の絵柄は、後続の2冊(オラム版)よりも若干柔らかいが、このタッチは、しっとりした本文の雰囲気にもよく合っている。これに対して、10年以上後になって創られた2冊は、絵のタッチとストーリーとが、よりポップに、クリアカットなものに変質しているだけでなく、登場する動物たちの種類にも変化が見られる。
『おくりもの』に登場するアナグマとモグラの隣人は、カエルとキツネとウサギだけだったが、オラム版では、コウモリ、ノネズミ、リス、テン/オコジョ、フクロウ、ネズミ、カタツムリ、カエル、イタチ、ウサギ、それにハリネズミが登場する(フクロウは『もちよりパーティ』にのみ登場)。
オラム版ではキツネが姿を消したわけだが、同じくオラム・ヴァーレイ・コンビによる『チビモグちゃんのおつきさま』(角野栄子 訳,ほるぷ出版,1998.01.;原著 1997.)という絵本では、小さなモグラの子どもが主人公となり、森の仲間としては、リス、アナグマ、オコジョ、ノネズミ、カエル、イタチ、ウサギ、ハリネズミ、フクロウが登場する。そして、動物たちを襲う恐ろしい獣として、キツネが登場するのだ。つまり、原作者オラムは、キツネという動物を、ステレオタイプどおりの悪者に引き戻してしまったわけである。

★ Too Trivial! ★
評論社から刊行された『ごきげんななめ』では、同じ版元から先に出された『もちよりパーティ』で「テン」と訳されていた動物が、「オコジョ」に変わっている。
『もちよりパーティ』の後、『ごきげんななめ』よりは先に刊行された『チビモグちゃん』は、この2冊とは別の版元から、別の訳者の手で訳出された絵本だが、こちらではこの動物を「おこじょ」としているから、評論社版の訳者がこれを見て動物名を再考し、『ごきげんななめ』で訳を改めたのではないかとも考えられる。

オラム版にはたくさんの動物が登場するが、主役はあくまでモグラとアナグマであり、ハリネズミを含む他の動物たちは、頭数が多い分、かえって印象が薄い。『もちよりパーティ』のハリネズミはパーティに蜂蜜のサンドイッチを持ってきており、『ごきげんななめ』の全員表彰式では“大食い”で表彰されているが、それ以外には、個性というほどのものは特に認められない。

ふかいもり
ところで、ヴァーレイには、オラム以外の原作者と組んだ作品もある。フランスで刊行された『ふかい森のふたりはなかよし』(おかだよしえ 訳,評論社〈児童図書館・絵本の部屋〉,1999.06.;原著 1997.)がそれだ。原作者のセルゲイ・コズロフについては、他項を参照されたい。
この作品の主人公は、互いに親友どうしのハリネズミと小グマである。1冊の絵本に、全部で10の小さなエピソードが収められている。2人は、丘を穴だらけにしてしまったモグラと口論したり、ひねくれ者のカラスをお茶に誘って友達になったり、同じ1本のヒナギクのことを好きになったりする。
どちらかと言えば、主人公格なのはハリネズミの方で、相方の小グマよりも、少しセンチでシャイな性格のようだ。最後から2番目の「こぐまくん 大けがを する」と,「もし、ぼくがいなくなったら」とハリネズミが小グマに問いかける最終話「いつまでも わすれないでね」は、ヴァーレイの『おくりもの』でのアナグマと友人たちを、あるいは,コズロフの『ハリネズミくんと森のともだち』最終話での子グマとロバを,思い出させる(有り体に言えば,「大けがをする」の方は,前作の焼き直し以外の何物でもない)。
しかし、たびたび登場する、ハリネズミと小グマがお互いの体に腕をかけて跳ね踊るシーン(表紙参照)は、オラム版のアナグマ・シリーズでお馴染みの図であり、しっとりした『おくりもの』とははっきりと異質な要素である。

他項で紹介したように、原作者のコズロフには、本書以外にも、同じキャラクターたちを主人公にした,『ハリネズミくんと森のともだち』という先行作品がある。
『ふかい森』のストーリーが、できあいのものだったのか、新たに書き下ろされたものなのかはわからないが、結局のところ、フランスの目端のきく出版社が2匹目のドジョウを狙い、アナグマとモグラの関係を別の動物コンビに置き換えたものを求めたときに、ストーリー作りの苦手なヴァーレイと組ませる相手として目をつけたのが,コズロフだったのではないだろうか。オラム版のアナグマ・シリーズ自体、『おくりもの』の二番煎じ、三番煎じのようなものだが、さらにその後を襲って描かれた『ふかい森』という作品は、『おくりもの』の、世代の離れた子孫ということになる。
ヴァーレイ作品の中で,私が一番好きなのは、もちろん、ヴァーレイが彼女1人だけのセンスで創り上げた、おだやかで少しやるせない『おくりもの』の世界だ。……肝心のハリネズミが登場しないというささやかな欠点には目をつぶらなければならないのだけれど。

なお,コズロフを原作者とする3冊のハリクマ本については,ひろみさんによる,「HOWDY!!」「ハリネズミ本」のページも参照されたい。

【関連項目】
ハリネズミくんと森のともだち(童話集)
きりのなかの はりねずみ(童話絵本)
霧につつまれたハリネズミ(アニメーション)
2000.01.17. 最終推敲:2002.12.08.
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■ バーバモジャの友達 ■
− 環境汚染に苦しむノミたかり −

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"HEDGEHOG" の r2_d2 さんからいただいた情報です(_ _)。

アネット・ティゾン(チゾン)&タラス・テイラー夫妻 Annette Tison and Talus Taylor による世界的な絵本シリーズ、「バーバパパ」シリーズにも、ハリネズミは、少なくとも2度、登場している。
はこぶね
画面右端・バーバモジャの
腕の中には……?
1度目は、『バーバパパのはこぶね』(山下明生 訳,講談社〈バーバパパえほん(3)〉,1975.11.;原著 1971.)に登場する動物たちの1匹として。
この巻では、川遊びをしていたバーバパパ一家が、汚染された水や空気のために病気になってしまった動物たちと出会い、彼らを助けるところから話が始まる。バーバパパたちが動物たちの“避難所”を設けると、ハンターに追われる動物たちも、安全を求めて逃げ込んでくる。
ついには、ありとあらゆる動物たちが、バーバパパたちの広大な“避難所”へなだれ込んでくるが、ここでも環境汚染の被害を完全に免れることはできない。ついにバーバパパ一家と動物たちは、巨大なロケットで地球を飛び出し、別の星に移住してしまう。
動物たちを失って、やっと自分たちの間違いに気づいた大人たち。反省した人々の努力によって、地球は美しい緑の星に生まれ変わる。
見違えるようになった地球に戻り、方舟ロケットから降りてきたバーバパパ一家と動物たちを、世界中の子どもたちが総出で出迎る。
さあ、楽しい「バーバ祭り」の始まりだ!

……あきれるほどに脳天気なハッピーエンドだが、幼い読者たちはこの物語から、どのようなメッセージを受け取るのだろうか。
この絵本が描かれたころ、環境汚染の解消は、まだ返済期限の迫った借金のような重苦しくのっぴきならない現実的課題ではなかった。それは単に、もはや大人たちを信じることができなくなった若者たちの頭上に輝く、美しくもファンタスティックな楽園的ヴィジョンでしかなかったのだ。
もしも、ラブ&ピースが合い言葉だったカウンター・カルチャーの全盛期にではなく、約30年後の現在になってこの絵本が描かれたとしたら、まさかここまでやすやすと、環境問題が解決されることはなかっただろう。

カタキ役の“動物の敵”たちの中には、海獣を追うイヌイットらしき男や、漁船から海に網を投げ入れる漁師の姿も見える。作者たちの理想は、動物質の食物をいっさい口にしない、宮澤賢治的ハード・ベジタリアンの生活なのだろうか。
一方,バーバパパの“避難所”の中では、さながら千年王国のごとく、肉食動物も草食動物も一緒になって、動物たちが仲良く共存し合っている。どうやら彼らの辞書には、“生態系”の文字はないらしい。

バーバパパ一家の間には、彼らの“動物保護”活動の協力者として、人間の子どもたちであるフランソワとクロディーヌの姿が見える。大人たちと袂を分かってバーバパパたちと行動を共にしている彼らが、自分たち自身の主体性を発揮しようとする場面は、最後まで一度もない。
それでも、この2人の人間の子どもたちの存在は、この絵本を読む子どもたちが、環境保護活動の担い手としての自分の姿をイメージすることを、幾分かは容易にしてくれているのかもしれない。
「バーバパパ」を読んで育った子どもたちが、やがて社会の現実を理解し始める年頃になったとき、彼らは環境保護活動を、どのようにとらえ直すことになるだろう。
“非現実的な(=実現不可能な)夢物語”として、子ども時代の美しい思い出の中に、あっさりと置き捨ててしまうのだろうか。
それとも、ハッピーな結末と重なるポジティヴ・イメージは胸の奥底に結晶させたままで、より現実的な“共生への道”を、自分なりに模索しはじめるようになるのだろうか。

この絵本の中でのハリネズミの扱われ方から察せられるのは、執筆当時のティゾン&テイラー夫妻のエコロジー意識は、実のところあまり洗練されたものではなかったらしい、ということだ。
そもそも、ヨーロッパの草の根的な自然保護運動において、ハリネズミの保護がしばしばクローズアップされるのには、それなりの理由がある。第一に、食虫動物である彼らが、殺虫剤や農薬の代表的な犠牲者であること。第二に、交通事故で命を落とす個体が非常に多いことだ。
「バーバパパ」の作者たちが、この絵本で最初に動物たちが姿を表す見開きに、鳥や魚たち、カエルやヘビと並べて、一般的には決してメジャーな動物とはいえないハリネズミをわざわざ登場させているのは、おそらく彼らが、ヨーロッパにおけるハリネズミ保護活動のトピックを、どこかで聞き及んだことがあったからだろう。
ところが、『はこぶね』のハリネズミ君は、殺虫剤で汚染された虫を食べたり、無情な車輪に押しつぶされるのではない。彼は不注意にも、工場排水で汚染された川の水に口をつけることで、体の調子をおかしくしているのである!

のみたいじ
シリーズに2度目にハリネズミが登場するのは、『バーバパパののみたいじ』(山下明生 訳,講談社〈バーバパパのちいさなおはなし(4)〉,1997.05.;原著 1974.)という絵本である(この巻は、以前は〈バーバパパ・ミニえほん(6)〉として刊行されていたようだ)。
『はこぶね』のハリハリ君は、バーバパパ一家の中でも、とりわけ毛モジャのバーバモジャのお気に入りになっていたようだ。というのも、絵本の表紙絵(上掲)の中でも、動物たちが地球に戻ってきたシーンでも、バーバモジャはその胸にしっかりとハリネズミを抱いていたからである。この『のみたいじ』で、バーバパパ一家の人気者であるバーバモジャは、もう一度ハリネズミとの親交を結び直している。
野外で絵を描いていたバーバモジャは、ハリネズミと出会い、すっかり仲良しになる。バーバモジャとハリネズミ、そして2人と一緒にいた犬は、寄り添って昼寝をするが、ハリネズミから他の2人(匹?)に、ノミがうつってしまう。
シンプル・シンキングの原則を尊重しているらしいバーバパパは、今回もその主義を貫徹する−−バーバモジャと犬の全身の毛を刈り取ってしまうのだ。あわれなバーバモジャ! だが、パニック気味のバーバモジャの訴えを聞いたバーバママは、あわてず騒がず、彼と犬に、毛糸のセーターを編んでくれる。
ハリネズミは? ……ご心配なく。この騒動のそもそもの元凶である彼も、物語の結末に至って、ようやく(取って付けたように)池で泳いでノミを退治する。セーターを着たバーバモジャと犬、それにきれいになったハリネズミは、再び楽しく遊び始めるのだ。

野生のハリネズミのハリは、実際、ダニなどの温床となりやすいらしい。一緒に昼寝などということは、確かにもってのほかだろう。
これらの作品(のアニメ版)については、r2_d2さんから情報をいただいた。

ティゾン&テイラー夫妻には、さまざまな動物たちの“世界一”を網羅した『どうぶつなんでも世界一』(佐藤見果夢 訳,評論社〈児童図書館 科学の部屋〉)や,同じく世界中の動物たちの暮らしぶりを紹介した『どうぶつ ビックリ くらしかた』(佐藤見果夢 訳,評論社〈児童図書館 科学の部屋〉,1999.05.;原著 "I RECORD DEL COMPORTAMENO ANIMALE", 1986)という絵本もある。
前者は未確認だが,『くらしかた』には,意外にも,睡眠のチャンピオンとしてハリネズミが紹介されている(他項参照)。
2000.01.14. 最終推敲:2002.11.15.
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